MYOBAN YUNOSATO
江戸時代の
創業からつないできた、
「みょうばん湯の里」物語
みょうばん湯の里は、別府明礬温泉と湯けむりの恵みと共に歩んだ300年の歴史に支えられています。現社長の先祖である脇屋 儀助(わきや よしすけ)が江戸時代にミョウバン製造を開始したことに始まり、時代とともにミョウバン製造から湯の花製造へと移行し、現在もその伝統を守り続けています。昭和の終わりに、歴史・文化的価値を有するこの地で「みょうばん湯の里」をオープン。これまでも、訪れるすべての人々に健康と美の旅を提供してきました。
物語は江戸時代から
始まりは、脇屋儀助が製造した
「豊後ミョウバン」
現「みょうばん 湯の里」社長の先祖である脇屋儀助(わきやよしすけ)が、染料や薬品として利用される「豊後ミョウバン」の製造を開始しました。儀助の製造するミョウバンは品質が高く、その品質は海外産に匹敵するほどでした。
- 脇屋儀助(わきや よしすけ)とは
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みょうばん湯の里を繋いできた現代表の祖先は、新田義貞の弟・脇屋儀助です。
南北朝の戦いに敗れた後、四国へ逃れ、子孫の脇八郎次郎の時代、九州に移り住み、現日出町豊岡の庄屋になります。その子孫である脇(屋)儀助が、明礬山を開くこととなったのが300年前です。 - 豊後ミョウバンとは
- 江戸時代、「豊後ミョウバン」と呼ばれたミョウバンは、主に収斂剤として傷口をふさいで止血したり、なめし皮を作ったり、染め物の触媒として使用されました。特に、公家や武士が着る渋茶色の衣類を染めるには欠かせないものでした。
脇屋家
豊後ミョウバン関係資料について
現在、湯の花の製造技術を受け継ぐ「脇屋家」は16代続き、当時の文書を大切に保管しています。これら古文書3冊は、別府市の文化財に指定されており、8代将軍・徳川吉宗の時代、徳川幕府の天領となった脇屋家が所有する貴重なミョウバン製造資料です。
「豊後ミョウバン」
販路拡大の挑戦と挫折
当時日本は、中国からの輸入ミョウバンに頼っていました。そのため、儀助の「豊後ミョウバン」販売は、中国から大量に輸入される安価な唐ミョウバンによって販路を閉ざされていたのです。儀助は大坂の「豊後ミョウバン」の取扱商人を伴い、幕府に直接唐ミョウバンの輸入規制を何度も訴えましたが聞き届けられることはありませんでした。
「豊後ミョウバン」を起点とした
和ミョウバン時代の幕開け
儀助が製造するミョウバンは品質が高く、江戸幕府の医師・丹羽正伯の推薦を受けて、1734年に幕府から明礬会所の設置を認められました。これにより、「豊後ミョウバン(和ミョウバン)」の製造・販売権を独占することとなり、唐ミョウバンの輸入が止まると国内シェアは7割に増加。
天候に左右される貴重なミョウバン製造から得た利益を、儀助は農民や近隣の救済に使ったともされています。
和ミョウバンから湯の花へと
移り変わる明治時代
ミョウバンばんどを「湯の花」と命名
入浴剤の元祖に
明治時代に入り、幕府の後ろ盾がなくなると、化学薬品の輸入が増加し、手間や費用がかかる天然ミョウバンの製造は終焉を迎えました。しかし、別府には農作業で痛めた腰や肩を温泉で癒す湯治客が多く、先祖は「自宅に持って帰れる温泉」という入浴剤を売り始めました。ミョウバン製造から湯の花製造へと転じ、事業は発展し、生産者も増加していきました。
大正〜昭和
湯の花製造全盛期
現在では15棟に減少した湯の花小屋ですが、昭和初期の全盛期、明礬温泉には約300棟が存在し、多くの職人が働いていました。しかし、第二次世界大戦の戦火が激しくなると職人が戦地に赴き、湯の花小屋は激減。戦後には4業者にまで減少しましたが、この4業者は現在も生産を続け、保存会を結成し、国の重要民俗文化財や大分県功労者表彰を受けました。みょうばん湯の里では現在、湯の花小屋15棟、湯の花職人6名で日々、湯の花の成長を見守っています。
- 別府明礬温泉の入浴剤「湯の花」とは?
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温泉ガスをギュッと凝縮させ、白く美しい温泉成分に結晶化させた、天然の入浴剤湯の花。「湯の花小屋」と呼ばれる小屋の中で1日1ミリずつ成長する結晶は、職人の技術によって管理・採取され、化学薬品などは一切添加していません。
国際規格ISO9001、国際規格ISO14001の認証を取得
世界唯一、
別府明礬「湯の花」製造技術
別府明礬の温泉と
湯けむりがつないできた今
五感で楽しむことができる
日帰り温泉施設、
「みょうばん湯の里」をオープン
現社長の父であり、別府市長を3期務めた脇屋長可は、この地を活性化させるために「みょうばん 湯の里」をオープンしました。湯の花をもっと知ってもらおうと、見学可能な湯の花小屋や土産物の販売、露天風呂、レストランなど、五感で楽しむことができる日帰り温泉施設を整備しました。
別府明礬温泉「湯の花」の製造技術が、
国の「重要無形民俗文化財」に指定
全国の温泉地にある「湯の花」は、多くが温泉の沈殿物を採取したり硫黄の塊を粉末にしたものです。しかし、別府明礬温泉の「湯の花」は、小屋方式で製造する世界唯一の技術で、江戸時代より行われています。この技術は、2006年に国の「重要無形民俗文化財」に指定されました。
別府明礬「湯の花」の成分を含んだ
元祖湯の花コスメブランドが誕生
「みょうばん湯の里」オリジナル商品の育成に努め、別府明礬「湯の花」の成分を含む「湯の花」コスメ開発から20年。今では湯の花に次ぐ人気商品となりました。老若男女問わず、別府明礬温泉の恵みを肌で感じることができるここにしかないオリジナル商品です。
そして二○二五年
創業300周年
「みょうばん湯の里」は、別府明礬の温泉と湯けむりに支えられ、今日を迎えることができました。これからも、この別府明礬の地で、温泉と湯けむりの物語を未来へつないでまいります。